喜びの奴隷 ESCRAVO DA ALEGRIA ヴィニシウス Vinícius & マリア・クレウーザ MARIA CREUSA
ブラジルの詩人、作家、作詞家、作曲家、翻訳家、外交官、歌手、ジャーナリストという多才なヴィニシウス・ヂ・モライス Vinícius da Moraesの詞にギタリストのトッキーニョToquinhoが曲にした逸品。
ヴィニシウスは、オ・ポエティーニャ(O Poetinha, 「小さな詩人」の意)のペンネームでも知られるが、外交官でもあったことからパリやLAに赴任、戯曲や映画評も手掛け、異色な才人として早くから広く名声を獲得し、1950年代後期にはブラジルの国連大使も務めた。
彼が1956年に世に問うた戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」は、マルセル・カミュ監督のフランス・ブラジル・イタリア合作映画「黒いオルフェ」となり、1959年公開され同年の第12回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール受賞。アカデミー賞では外国語映画賞を受賞したことで知られる。。
このときにはまだ無名であったアントニオ・カルロス・ジョビンをギタリストとして紹介・サゥンドトラック制作に参加していて、共にボサノヴァというポピュラーミュージックのスタイルを生み出すことにつながった。
ジョビンが作曲し・モライスが作詞したナンバー「イパネマの娘」や「おいしい水」等は仏でも多くの歌手に採り上げられている。
また、「想いあふれて」のジョアン・ジルベルトとやスタン・ゲッツの共演作品などにもよって世界的に知られるようになり、ヒット曲を多数送り出した。
洗練され、崇高なボサノヴァの歌詞のあり方の指針を示し、以後のブラジルのポピュラー音楽に多大な影響を与えたとされている。
ジョビンとのコンビは1962年の「イパネマの娘」まで続いたが、1960年代以降は、ギタリストとして有名なバーデン・パウエル (Baden Powell)やトッキーニョ (Toquinho)ら多くのミュージシャンたちと共作し、ボサノヴァに留まらず、それ以前のジョビンとの作品とは趣を変えた、アフロ・サンバといった土着的な感覚に重きを置いた作品を生み出し、自らも歌手として活動するようになる。
外交官として赴任した先のフランス・パリでは、フランシス・レイやピエール・バルーなどにボサノヴァを教え、それによって「フレンチ・ボッサ」(フランス人によるボサノヴァ)を誕生させた原動力となった。
1964年にブラジルのクーデターで軍事政権が発足してからは、左翼的なポリシーの持ち主故に外交官としての重職から排除され、1969年には「アルコール依存症」を表向きの理由にブラジル外務省からも解雇され、以後は晩年まで音楽分野での活動を続けた。
1980年7月9日没
私の歌はリズム感が悪くノリが良くなくてお粗末ですが、これ以上の出来が望める自信もないので、聞き苦しくて申し訳ありませんが訳詞の方を知っていただくことを主眼にしてアップしました。
発音も悪くて言葉が聞き取れないかもしれませんのでスーパーを入れました。
訳詞・歌 Sima
Pf.(イントロ編曲) 砂原嘉博 in 市川 ラ・メール
訳詞 no.133 (初稿)
シャンソン・訳詞のチャンネル
chanson de Sima (Sima World)
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured