ベートーヴェン ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 《悲愴》 第1楽章

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ベートーヴェンにとっての指標であり、越えなければならなかった存在は、ソナタ形式のような古典的な様式を確立させた、ハイドンやモーツァルトでした。
ピアノの名手としてウィーンで名を上げ、いよいよ作曲も本格的になったのは、およそ1800年前後、ベートーヴェンが30代に差しかかった頃のことです。
なんとか先人たちを乗り越えようというベートーヴェンの試みは、この時期に作曲されたピアノソナタにも、はっきりと表れています。
例えば1798年から翌年にかけて作曲の第8番「悲愴」では、 第1楽章のソナタ形式に序奏がつき、この楽想がその後にも応用されています。
また、1801年に作曲された第14番「月光」では、 第1楽章がアダージョで、第3楽章に初めてソナタ形式が置かれています。
いずれのソナタでも当時としては、斬新な手法が採られています。
そしてこれらの試みに、すでにロマン派の兆候が見えています。
ベートーヴェンはひと括りに古典派とされることの多い作曲家ですが、 実際には古典派とロマン派の中間に置かれるべき存在で、
様々な革新的試みを成しながら、両者の橋渡しをしたとも言えます。
30歳前後と言えば、ベートーヴェンの主軸である交響曲の第1番が作曲され、 同じく主要なジャンルである弦楽四重奏曲も、ものにしつつあった時期です。
そして有名なハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのは32歳の頃ですから、いかにこの数年が彼の内面の変化の上で、大事だったかがうかがえます。
「悲愴」は「運命」や「コリオラン序曲」と同じハ短調です。
ベートーヴェンは内的闘争を描く時にこの調を用いていますが、
そのどれもが彼の作品の中では特に重要な意味を持っています。
難聴の兆候が表れ始めた1798年に着手されたハ短調の悲愴ソナタ。
ベートーヴェンは襲い来る試練を意識しつつ、筆を進めていたかもしれません。
第1楽章にはそれを思わせる重厚な響きがあり、強い意志力が感じられます。

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